何に置いてもそれには違わない。















 声だ。

 声が耳に入り込む。鼓膜が震動される。まるで耳鳴り。声なのかどうかよくわからない。けど声、だと思う。


『ガイ』
 誰だ。

『ガイ』
 …誰なんだ。






「ガイラルディア」




 …これは


「…陛、下」
「……うん」


 目が覚めた。そういえばこの手は彼の、ピオニーの。彼の優しい手が頬から離れて行った。 ここは、と聞くと「お前の屋敷だ」と先ほどと同じような、どこかしら怒りが籠もったような声で言う。


「どう、したんですか」
「どうもこうもない」
「…はい?」

 ベッドから起き上がってピオニーをよく見てみると、確かに声だけでなく顔も怒りがにじみ出ていた。 「あの馬鹿のせいでお前が怪我したと思うと、こう、…なんだ、そうだ。腹が煮えくり返る」 低いトーンのままの声だが、確かに怒りで。怪我?とガイが疑問に思い、その瞬間。

「け、怪我って、陛下は!?」
「…見ての通り元気いっぱいだ。 それより、俺よりもお前の方が重傷だったらしい。だから俺は怒ってるんだ」
「そ うだったんですか…  って、 らしい?なんですかそれ」
「見つかった時は応急治癒が為されてた状態でな。
 それが無かったら今頃俺は枕を涙で濡らし…ああ、胸糞悪い」

 一体どっちなんだ、とガイが思う。




 その時、ノックも無しにドアノブが回り、開き、『あの馬鹿』がやって来た。ピオニーがそれに心底嫌な顔を すると、それを気にせず彼はガイに向き、笑顔。


「おはようございます、ガイ。死んでなくて何よりです」


 この馬鹿・ジェイドは先日の事も忘れたように。

「色々と報告がありますよ。ついでに陛下にも」
「…俺がついでとは随分だな、ジェイド」
「いやですねぇまだ怒ってるんですか」
「今回の件は根に持つ度ナンバーワンだ。覚悟しとけよ」

 職権濫用という言葉が背景に浮かんでいそうだ。ガイがそう思うと、一瞬、視界が歪む。 それに目を閉じて小さく呻くと、「具合が悪いのですか」とピオニーよりも先にジェイドの声。 「大丈夫だ」と言いつつも小さく頭痛がするのだが、それよりもジェイドの労りが妙に笑えた。

「…奇妙な治癒術がかけられていましたので、それが原因かもしれませんね」
「奇妙?」
「ええ、第七音素による治癒術ではあるのですが…まぁ、そこは専門家にお任せしましょう」

 とりあえず、とジェイドが最初に話したのは、宮殿崩壊が四日前である事。至る所に仕掛けられていた 第五音素爆弾により宮殿は完全に焼失してしまったという。

「まぁ、俺は愛着なかったしいいんだけどな。怪我人は出たけど死人は少なかったし」
「そうでしょうね。それで、ガイの事ですが。 ガイが突入した直後、フードを被った何者かが次いで 侵入しました。更にその直後に大きな爆発、そして更にその直後」
「た、立て続けだな…」
「ここからが本題ですよ。超震動です」

 ジェイドが戯けてみせるから、何を言うかと思えば。

「…超震動、だと?」
「はい。宮殿の一部―ちょうど貴方の居た辺りですが、あの辺りが超震動により完全に消滅しました。 擬似でもなく本物の超震動です。音素の揺らぎも無く、非常に安定した、完全意志範囲超震動」
「…よくわからないが、意志範囲って事は…」
「貴方とあの彼を残して、周りの物を消滅させたんです」
「あの、彼?」

 ピオニーの追求にまたジェイドが続ける。

「……前導師イオンのレプリカで、ロルカのリーダー、です。何故だか知りませんが、誰か さんと同じような赤毛ですがね」
「…やはり、導師イオンのレプリカか」
「拘束出来たんですが…何も話さないものですから、事がなぁんにも進みませんよ」

 何も話さないのか。――それよりも、あの彼を捕らえたのか。これで一応騒動も収まるだろう。 しかし、何も、話さないとは。

「…そいつに、会えないかな」
「会いたいんですか?」
「ん、まぁ…ちょっと」
「私が立ち会いますが、構いませんね?」
「会っていいのか?」
「私が立ち会いますが、と言いましたが」
「あ、ああ構わないよ」
「…俺も会うぞ」
「陛下はダメです」
「なんだと?」

 死にかけにさせられたんですから、ダメです。ジェイドの言い分は最もだった。 ガイもそれに頷く。「だったらガイラルディアだってダメだろ」「私が居ますし、チューナーを 持たせておりませんし」「だったら俺も良いだろ!」「ダメです」堂々巡りだ。


「陛下は放っておいて、今会いますか?彼は軍部に身柄を拘束していますが」
「ああ、行くよ」

 では行きましょうか。ガイの後ろ首を掴み、ずんずんと歩いて行った。ちなみにピオニーは居城が 無くなってしまったため、ガイの屋敷に一時的に移り住んでいる。

 おい俺も行くぞ、とピオニーも部屋から出ようとするが押し止められ、ガチャリ、と鍵をかけられる。 「…なんで外鍵なんかついてるんだ…」つけさせたのは実は自分だった。






 取調室へと言う士官に軽くお辞儀をし、冷たい扉を開く。 中には机と、椅子が二脚、人がすでに座っている椅子が一脚。

 …彼だ。真っ赤な髪を逆立てた、彼。
 酷く穏やかな表情でガイとジェイドの中間あたりを見たと思うと、また視線を反らし、小さく付いている窓に目をやる。


 「こんにちは」椅子に座りつつ、ジェイド。彼はやはり答えない。「良い天気ですよねぇ」まだ答えない。 答える気など毛頭なさそうに、視線は合わせないし、相槌も打たない。


「…なぁ、お前の名前は?それくらい教えてくれよ」

 やはり無関心。

 だが、「俺はガイだよ」言った瞬間。

 無関心な視線が、ガイを捕らえた。


 それにガイが虚を突かれたという顔をしたが、彼は。彼は手袋を取った。 ジェイドはそれを怪訝そうに見るがお構いなしに取り、何故か、ガイに手を伸ばした。

「え…?何?」

 困惑するガイに彼は溜息を吐き、ガイのいつもは手袋をしているが、今日はしていなかったその手を取る。



 その途端だった。




「………エデン…?」


「…どうしました、ガイ」
「…お前の名前、エデン…っていうのか?」

 彼が頷いた。

「ガイ。どういうことです」
「なんか、声が聞こえたんだ、頭に直接響くみたいな…」
「…エデン。貴方は、話さないのではなかったのですか…話せないのですね」

 彼、エデンがまた頷く。

「接触テレパス、ですね。恐らく貴方と音素振動数が近い相手でないとできないのでしょう」

 エデンがまた頷き、ガイの目を見た。

「…ジェイド、エデンは…話せないから、スコアが詠み上げられないから、捨てられたって」
「成る程、確かに、スコアを言えない導師では仕方ないですしね」
「……頷いたりもしなかったのは、耳もあまり聞こえないから…今は俺の耳を使って聞いてるらしい」
「それもダアト式譜術なのですか?」
「…そうらしい。音素そのものを操る譜術の応用だとよ」
「何とも、素晴らしいフォニマーですね、貴方は。ヴァンやモースの目が悪かったようだ」

 軍に欲しい人材です、ジェイドが紙にペンを走らせながら言う。

「ガイ、ちょっと代弁をお願いしますね」
「構わないが」
「何故かを聞いてもいいですか。…エデン」


 何故、か。

 エデンがジェイドにイオンと同じ眼を向ける。その表情は穏やかであれど、イオンも、シンクも、 ましてフローリアンもしない表情。まばらに額に落ちる赤い髪が、彼らの全てと、エデンは違うのだと、 言っているようだった。

 何故か。
 何が。

 全て、だろう。



「…エデン?」

 エデンは短い溜息を吐き、握っていたガイの右手だけでなく、左手も求めて来た。 手招きされるままに左手も出し、両手を繋ぎ、腕と体で円を作る形となる。


 エデンが目を伏せた、その時。

「……うあっ、ああアアッ!?」
「…ガイ!?」

 ガイは一瞬叫んだかと思うと、エデンの手を撥ね除け思いきり後ろに倒れる。エデンはと言うと、 まさに「やっぱり」といった顔で小さく溜息を吐き手を泳がせる。
 エデンが何かしたのは確かだが、悪意があるようにも 見えない。ジェイドはエデンに警戒しつつ、ガイを起き上がらせた、すると。

「…なん、だよ、これ… な、なんか、 え?わ、わかんねー…」
「エデンが、何か?」
「……なんか、何か送って来たみたいだけど…、悲…しい?怖い、ような…とにかく、色々、何か… あー、わかんねぇ…」
「それじゃあしょうがないんですけど、もっかいやって頂けます?」
「…か、勘弁してくれ、本気でこればっかりは」
「そんなにダメでした?」
「……いやでもなんか… 答えはあったような、気がした」


 彼は世界に絶望した訳でも、
 世界を憎んだ訳でも、
 世界を捨てた訳でも、

 何も。


「……何も、無かったよ」






 何も。感じていなかった。




 そういえば優しい彼は。『レプリカという存在を知ってもらう活動をしたい』と言っていたと、 ルークが言っていた。それは彼だからそう言えたんだ。もしかしたらレプリカを産んだものを憎んだかもしれないのに。 でも目の前の彼はそれをしないでいた。しないでいる。

 でも、いたかったのでは、無いのか。

 信じていたかったのではないないか、彼も。





           何に差し置いてもそれはイオーンであると。


I / R / 仄光る孔 / 平地に立つソランジュ