知識の街の夜は静かだった。何処よりも。
 それが余計に耳に着いて嫌な気分になってしまう。
 こんな夜は多分、皆、「良い夜だ」なんて、言うのだろう。

 眠れる夜だからだ。








「ガイ。眠れなくても、横になるぐらいはした方がいいわ」

 さっきもジェイドに同じ事を言われた。 寝てない訳じゃないさ、と言うと「少ないわ」ときっぱり言い放たれ、苦笑を漏らすしかなくなった。

「ティアだって寝た方がいいんじゃないか。もう朝だろ」
「5時よ。いつもこれくらいに起きてるわ」

 5時か、朝日が出るかと東の空を見やると、確かに暗い藍の淵が、薄い光を放っている。 柔らかい緑色の陽を眺めていると、ここがあの寂しい教会であることを忘れさせてくれる。

「どうせ出発は昼ごろになるわ。寝ないと譜歌を詠うわよ」
「勘弁してくれよ」

 思い出したくない事を思い出して、目覚めが最悪になる。―譜歌を聞いたことがあると 思っていたが、確かに聞いた事があった。それが男の声だったからわからなかっただけだ。

「…子守歌代わりに詠ってくれたって、言ったよな。ヴァンは…俺にも譜歌を詠ってくれた」

 俺には意味がわからなかったけど、音階がいいんだ。よく眠れたよ、あれを聞くと。だったら今度は 一度で眠るかしらとティアが笑ってみせるが、いい加減本当に目が冴えてしまった。朝日が昇る。 味気のなかった礼拝堂に、ステンドグラスの色がうっすらと鮮やかになっていく。


「…なぁ、ティア」
「なに?」

 その後の言葉がうまく続かない。聞こうとしている事は明確なのだが、それを 言にするのは少し難しく、しばらくの沈黙を流してしまう。


「あー… 寂しい、って言うと…違うよな…うーん」
「…何を言ってるの」

 寂しいとか考えない。兵士だから。どうせそんな答えが返ってきそうだから、 そんな質問を安易には出来ない。うんうん言っていると、ティアの方から溜息が聞こえた。




「………俺 変かな…」


 はは、と失笑。それにティアは「そうね。そうかもしれないわ」、といつもの返事をする。 それには笑いも吹っ飛んでしまう。わざとか、こいつ。


「…意志のある時間が長いから」
「ん?」
「常人よりたくさんのものを溜め込んでしまうんじゃないかしら」

 …やっぱり眠った方がいいわ。
 そう言って効きもしない、深淵への手向けの歌を詠う。
 眠れやしない。力の通らない彼の声がフラッシュバックしてしまう、から。




 朝日が完全に昇った。そろそろ出なければならない。
 空が青くなってきた。 ―さっきの薄緑の方が好みだ。





           空から手が伸びて来て、全部がオフェリアにまる。


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