呼んでいるだけ呼んでいるだけ、
残念ながらきっと幻聴。



 ルークは自分の意志で踊ろうと思ったことはない。最初に兄の代わりに舞ったその時からすでに、自分の意志から は逸脱してこの手足を動かしていた。そうでなくてもこの体を作り上げたのは自分ではなく、自分に連なる遺伝子を 分け与えたふたりの男女によるものであり、自分の意志で自身を作り上げることは特に意識しなかった。 お陰で指の先から足の先、まつげの先まで染み付けられた、モダンバレエ、という語源も知らない単語。ああでも よく知ってるんだ、ちゃんちゃらおかしい話。
「ルーク」
 まったくもってやめて欲しいと思っていることの一つ。その姿とその顔とその声で自分の名前を呼ぶことだ。 まるでピオニーの存在否定のようだが、たかが自分の名前がピオニーを介するだけで、ルークの変わらない表面の 中はとんでもないことになる。平静を装うだとかそういうことはしていないが(なんだかんだで、自分の感情が 表面に出ることはあまりなくなった)、内臓が全部破裂しそうに、焦がれる、そういうと少し格好付けすぎて仰々しい。 つまり俺は単なる、恋する乙女なんだという話。
「…バカか」
「なんだと、俺がバカだと?」
「…いや、俺が」
「ああ、そりゃそうだ、お前はバカだ」
 アンタはバレエバカだ、と言いたい衝動に駆られた。バカばっかりだ。全世界に生きる人間全員が何かのバカだ。 目の前に居るヤツはバレエのバカだし、俺はいわゆる「目の前に居るバレエバカ」のバカだ。ぶっちゃけた話、 モダンバレエなどというものはちゃんちゃらおかしくてどうでも良いのだが、目の前に居るバレエバカのバレエなら、 心底愛せる、愛すべき人に思える。バレエバカ自身にもそれを思ってしまっている。バレエバカのバカだ。確信してしまった。
「で、バカがバカなりに、なんか悩みでもあるのか?さっきから黙りこくって」
 誰のせいだ。あなたのことを考えてたんですよ、そう言ったってそんな言葉は恋愛感情には程遠い。
「……俺はピオニーさん程バカじゃあないです」
「てめえ、よくも言ってくれたな…お前はあれだろ、バレエバカ」
 あんただろうそりゃ、俺は、
 (あなたのことがすきですきでたまらないんですよ)
「………あー…」
「ん、どうした」
「ホントバカだなと思って」
「そりゃあな」
「あなたが」
「てめぇ、マジで覚えとけ」
 ああ、覚えてますよ、あなたの姿と顔と声と、自分の名を呼んでくれたこと、全部全部、忘れた事ない。忘れる筈ない。 ああ、気持ち悪いな俺。言っちまえば全部終わりだって、解ってる分、まだ救いはあるけど。
「溜め込むよか、適度に吐き出すほうが、俺は良いと思うけど?」
 …ありえねぇ。


ミルク・クラウン Chapter.09 「奇跡からの逃走」


title/群青三メートル手前