ミルク・クラウン Chapter.07 「いつもよりもずっと、近く」

 煙草が値上がりしたせいで余計に財布が寂しかった。禁煙しようかとも思ったがそれでは 癪に障る事を思い出す。
「ローレライ先生の息子だったとはなぁ」
「だから天才、あーそうですよ」
「卑屈だな。誰もそんな事は言ってないだろう」
 誰も、という言葉は少し違う。確かにピオニーは言っていないが、ピオニー以外の人間は嫌と言う程 浴びせて来る。言葉もそうだが、視線もだ。皆あの金髪の面影を映しているのだ。
「最近、先生にオーディションの審査頼んでんだよ」
「…それあんたの仕事でしょ」
「誰かがまだまだ下手だからな。その癖一日中でも踊ってやがるから、俺の一日だって無いようなもんだ。 …ああ髪、も少し伸ばせ。次はシルフィードを踊ってもらうから」
「…………この前、パブロワって言ってませんでしたっけ?」
「どっちもだ。頼むぞ、天才殿」
 アンナ・パブロワは基本だとか言われて叩き込まれた事がある。男なのにロマンチックチュチュをはいて踊る のが、子供心に格好悪くて嫌だった。それは今も実は同じで、バレリーナに扮するのははっきり言って全く乗り気が しないところだ。そこにシルフィードである。風の妖精シルフィードを演じるにはスカート。 えろくさいと好評を得たカルメンは踊らせてもらえず、小さい背の為にかわいい役柄ばかりだ。
「いーじゃねーか、ほら、パブロワは途中で服を脱いでいいんだぞ」
「それ親父にも言われたんですけど…」
「ぬぅ、同レベルか。…まあ脱がなきゃいけないんだけどな」
 禁煙と大きく張り紙が貼ってあるのは見えていたが、休憩と銘打ってある時間なのだから固いことは言うまい。 だが鞄を探ると煙草は出て来てもライターが無い。欲しい時に限って見つからないものだ。
「ライターか?この前お前が置いてった奴、今も持ってるぞ…ほら」
「ああ、それ、あんたんとこに置いていってたのか。どうも」
 このおっさんも張り紙を気にする節は見当たらない。しかも「早死にするぞ」と言うだけで煙草をやめろとは言って こない。ルークは生来捻くれたタチで、やるなと言われることはやりたいし、やれと言われたことはやりたくはない。 つまり煙草をやめなかったのはやめろと言われたからだった。ピオニーの長い指がライターから火を出すと、 ルークも自然に銜えていた煙草をその火に近づけた。しかしピオニーは張り紙は気にしていなかったが、 「今日はそれだけだ」とライターを自分のポケットに仕舞った。
「…やめさせりゃいいのに」
「言ったらやめるか、お前」
「やめれるならやめたいですけどね」
「まぁそりゃそうだろうなぁ、喫煙者は皆そう思ってるモンだろ。俺も昔吸ってたし」
 意外なセリフにルークが「へぇ」と間を置いてから「やめたんですか」と続けた。
「ああ、まあ…煙草吸う人はキライだって言われたから」
「…恋人?」
「昔のな」


垂れ込む暗幕に指先が触れその先を見失った


title/渦旋